音楽劇『アヤとピノッキオの冒険』ゲネプロレポート
2026.8.22ついに開幕!歌とダンスがいっぱいの音楽劇『アヤとピノッキオの冒険』ゲネプロをレポート
音楽劇『アヤとピノッキオの冒険』が、2026年8月21日(金)~23日(日)、日生劇場ファミリーフェスティヴァル 2026にて上演される(その後、岩国・千葉・熊本公演あり)。
時代を超えて世界中で愛される「ピノッキオの冒険」を、歌やダンスに彩られた新制作の音楽劇としてお届けする本作は、転校したばかりでクラスにうまく馴染めない小学生の女の子・アヤの元に、不思議なあやつり人形のピノッキオが突然現れ、アヤは父親を、ピノッキオはジェペットさんを探す不思議な冒険に共に旅立つという物語で、アヤ役を美山加恋、ピノッキオ役をDJみそしるとMCごはん(以下、おみそはん)が務める。
初日に先立ち行われたゲネプロの様子をお伝えする。

まずは、本作のナビゲーター的な役割も果たしているコオロギ(玉置孝匡)が緞帳の影からコミカルに登場する。滑らかな語り口による開演中の注意事項の説明や、劇中で大事な役割を果たす手拍子の練習を楽しくやっているうちに、客席は自然と物語の世界へといざなわれていく。
そして幕が開くと、そこはアヤの通う小学校の教室。コオロギはこの教室で飼われていて、心優しいアヤのことを密かに見守っている。アヤのクラスでは人形劇「ピノッキオ」の練習をしているのだが、「いい子」でいようとする気持ちが強すぎるアヤは、なかなかクラスになじめない。本当はクラスメイトに対して一歩踏み出したいのに、心を開けず表情も固くなってしまっているアヤを、美山が繊細に表現する。
人形劇の練習の途中で壊れてしまったピノッキオの人形を、アヤは家に持ち帰って修理する。人形に向かって、亡くなったお父さんとの思い出を話しながら、「いい子、ってなに?」と自問自答するアヤの姿がなんともいじらしい。大人はよかれと思って「いい子」という言葉を子どもにかけてしまいがちだが、定義のあいまいな「いい子」という言葉は、もしかすると逆に子どもを戸惑わせているのかもしれない、とドキリとさせられる。
アヤが話しかけたことがきっかけだったのか、突然ピノッキオの人形が動いてしゃべり出したので、アヤは「これは夢?」と驚き混乱する。そんなアヤの様子などお構いなしに、自由に行動するピノッキオに対してアヤは徐々に心を開いていき、ふたりはふしぎな世界へ冒険に旅立つ。天真爛漫なピノッキオを、おみそはんが持ち前のキャラクターを発揮して、愛すべき可愛らしいピノッキオとして生き生きと立ち上げる。ヒップホップアーティストの実力を発揮して、歌もラップもさすがの聞きごたえで魅了する。
冒険の間、ピノッキオは騒ぎを起こしたり、失敗ばかりしてアヤを振り回す。「いい子」でいなければいけない、と思っているアヤにとって、自分の感情にまっすぐなピノッキオの行動には驚きの連続で、ヒヤヒヤさせられっぱなしだ。それでもアヤがピノッキオと行動を共にすることをやめないのは、その姿に心ひかれるものがあるからだろう。「いい子」という言葉に囚われない自由さは、アヤにとってまぶしく映るはずだ。
ふしぎな世界のシーンでは、実は情にあつい芝居小屋の親方や、小人を演じる人形たち、ピノッキオをだまそうとするキツネとネコなど、バラエティー豊かな登場人物たちを見ているだけでも楽しくなる。大池容子の脚本と、野上絹代の演出が、個性的なキャラクターたちが自由にのびのびと舞台上を駆け回ることができるような、柔軟で懐の深い作品世界を作り上げている。
勝手な行動をするピノッキオを止めるために、コオロギが“虫ケラダンサーズ”を従えて「でっかくなるぜ」を歌い踊るシーンを、本作の見どころの一つに挙げたい。80年代のアイドルを彷彿とさせる曲調やダンスに、当時を知る世代はノスタルジーを憶えずにいられないだろう。アヤとピノッキオという子どもたちが未知なる冒険に旅立ち、様々な困難に立ち向かって頑張る姿が本作の軸だが、「大人だって頑張るぞ!」という、大人から子どもへの決意表明にも感じられた。
舞台上後方にはミュージシャンたちの姿が見えており、出演者たちと息と心を合わせながら生で演奏される音の温かみは格別だ。シャンソン風からダンスミュージックまで、バリエーションに富んだ様々な曲調が、作品に彩りを加えていく。思わず一緒に歌いたくなるような、耳に残るキャッチーな楽曲ばかりで魅力的だ。
ピノッキオは、アヤのためによかれと思って取った行動により、ピンチに立たされてしまう。ピノッキオを救おうとするアヤの前に現れる女神(福田えり)が、強烈な存在感を放つ。登場から圧倒的な歌唱力を披露したかと思うと、女神のイメージとは少しずれているような軽妙な語り口で、ギャグも盛り込みながらテンポよく物語を進めていく。福田はアヤの担任の先生役も務めているのだが、教育者たる落ち着いた雰囲気とは異なる、おおざっぱで大らかな女神を演じている。実は先生と女神は同一人物で、女神のキャラクターは、生徒の前では見せない先生の別の顔なのかもしれない。人間の多面性を示唆するとともに、四六時中「いい子」でいる必要はない、いろんな顔をした自分がいていいんだ、というメッセージにも感じられた。
本作のベースになっている「ピノッキオの冒険」では、ピノッキオは自分を作ってくれたジェペットさんをサメのお腹の中から救い出して、2人は親子として仲良く暮らす、というハッピーエンドを迎える。本作でもピノッキオは、お父さんのジェペットさんの行方を探していて、一方のアヤは、亡くなったお父さんに会いたい、と叶わない願いを抱えている。この2人の思いが交錯したとき、物語はどのような結末を迎えるのか、アヤとピノッキオが冒険の中でどのような成長を遂げたのか、大人も子どもも心躍る冒険譚の行方をぜひ見届けてもらいたい。
取材・文:久田絢子
撮影:曳野若菜
音楽劇『アヤとピノッキオの冒険』が、2026年8月21日(金)~23日(日)、日生劇場ファミリーフェスティヴァル 2026にて上演される(その後、岩国・千葉・熊本公演あり)。
時代を超えて世界中で愛される「ピノッキオの冒険」を、歌やダンスに彩られた新制作の音楽劇としてお届けする本作は、転校したばかりでクラスにうまく馴染めない小学生の女の子・アヤの元に、不思議なあやつり人形のピノッキオが突然現れ、アヤは父親を、ピノッキオはジェペットさんを探す不思議な冒険に共に旅立つという物語で、アヤ役を美山加恋、ピノッキオ役をDJみそしるとMCごはん(以下、おみそはん)が務める。
初日に先立ち行われたゲネプロの様子をお伝えする。

まずは、本作のナビゲーター的な役割も果たしているコオロギ(玉置孝匡)が緞帳の影からコミカルに登場する。滑らかな語り口による開演中の注意事項の説明や、劇中で大事な役割を果たす手拍子の練習を楽しくやっているうちに、客席は自然と物語の世界へといざなわれていく。
そして幕が開くと、そこはアヤの通う小学校の教室。コオロギはこの教室で飼われていて、心優しいアヤのことを密かに見守っている。アヤのクラスでは人形劇「ピノッキオ」の練習をしているのだが、「いい子」でいようとする気持ちが強すぎるアヤは、なかなかクラスになじめない。本当はクラスメイトに対して一歩踏み出したいのに、心を開けず表情も固くなってしまっているアヤを、美山が繊細に表現する。
人形劇の練習の途中で壊れてしまったピノッキオの人形を、アヤは家に持ち帰って修理する。人形に向かって、亡くなったお父さんとの思い出を話しながら、「いい子、ってなに?」と自問自答するアヤの姿がなんともいじらしい。大人はよかれと思って「いい子」という言葉を子どもにかけてしまいがちだが、定義のあいまいな「いい子」という言葉は、もしかすると逆に子どもを戸惑わせているのかもしれない、とドキリとさせられる。
アヤが話しかけたことがきっかけだったのか、突然ピノッキオの人形が動いてしゃべり出したので、アヤは「これは夢?」と驚き混乱する。そんなアヤの様子などお構いなしに、自由に行動するピノッキオに対してアヤは徐々に心を開いていき、ふたりはふしぎな世界へ冒険に旅立つ。天真爛漫なピノッキオを、おみそはんが持ち前のキャラクターを発揮して、愛すべき可愛らしいピノッキオとして生き生きと立ち上げる。ヒップホップアーティストの実力を発揮して、歌もラップもさすがの聞きごたえで魅了する。
冒険の間、ピノッキオは騒ぎを起こしたり、失敗ばかりしてアヤを振り回す。「いい子」でいなければいけない、と思っているアヤにとって、自分の感情にまっすぐなピノッキオの行動には驚きの連続で、ヒヤヒヤさせられっぱなしだ。それでもアヤがピノッキオと行動を共にすることをやめないのは、その姿に心ひかれるものがあるからだろう。「いい子」という言葉に囚われない自由さは、アヤにとってまぶしく映るはずだ。
ふしぎな世界のシーンでは、実は情にあつい芝居小屋の親方や、小人を演じる人形たち、ピノッキオをだまそうとするキツネとネコなど、バラエティー豊かな登場人物たちを見ているだけでも楽しくなる。大池容子の脚本と、野上絹代の演出が、個性的なキャラクターたちが自由にのびのびと舞台上を駆け回ることができるような、柔軟で懐の深い作品世界を作り上げている。
勝手な行動をするピノッキオを止めるために、コオロギが“虫ケラダンサーズ”を従えて「でっかくなるぜ」を歌い踊るシーンを、本作の見どころの一つに挙げたい。80年代のアイドルを彷彿とさせる曲調やダンスに、当時を知る世代はノスタルジーを憶えずにいられないだろう。アヤとピノッキオという子どもたちが未知なる冒険に旅立ち、様々な困難に立ち向かって頑張る姿が本作の軸だが、「大人だって頑張るぞ!」という、大人から子どもへの決意表明にも感じられた。
舞台上後方にはミュージシャンたちの姿が見えており、出演者たちと息と心を合わせながら生で演奏される音の温かみは格別だ。シャンソン風からダンスミュージックまで、バリエーションに富んだ様々な曲調が、作品に彩りを加えていく。思わず一緒に歌いたくなるような、耳に残るキャッチーな楽曲ばかりで魅力的だ。
ピノッキオは、アヤのためによかれと思って取った行動により、ピンチに立たされてしまう。ピノッキオを救おうとするアヤの前に現れる女神(福田えり)が、強烈な存在感を放つ。登場から圧倒的な歌唱力を披露したかと思うと、女神のイメージとは少しずれているような軽妙な語り口で、ギャグも盛り込みながらテンポよく物語を進めていく。福田はアヤの担任の先生役も務めているのだが、教育者たる落ち着いた雰囲気とは異なる、おおざっぱで大らかな女神を演じている。実は先生と女神は同一人物で、女神のキャラクターは、生徒の前では見せない先生の別の顔なのかもしれない。人間の多面性を示唆するとともに、四六時中「いい子」でいる必要はない、いろんな顔をした自分がいていいんだ、というメッセージにも感じられた。
本作のベースになっている「ピノッキオの冒険」では、ピノッキオは自分を作ってくれたジェペットさんをサメのお腹の中から救い出して、2人は親子として仲良く暮らす、というハッピーエンドを迎える。本作でもピノッキオは、お父さんのジェペットさんの行方を探していて、一方のアヤは、亡くなったお父さんに会いたい、と叶わない願いを抱えている。この2人の思いが交錯したとき、物語はどのような結末を迎えるのか、アヤとピノッキオが冒険の中でどのような成長を遂げたのか、大人も子どもも心躍る冒険譚の行方をぜひ見届けてもらいたい。
取材・文:久田絢子
撮影:曳野若菜
